レマハノート

しくじりや やらかした事

義父の世話を始める1

僕は現在63才長年勤めた会社に再雇用してもらいあと1年数か月で退職、趣味のバンド仲間とあちこちでライブ出演して楽しんでいます。妻は60才短時間パートで奥様同士の旅行仲間と時々出掛けて楽しんでいます。長男33才は結婚して独立。僕の両親は既に他界していて面倒を見ないといけない人はいない状態。順風満帆でもうすぐサラリーマン人生を終えてゆっくり妻と自分達の時間を過ごせると思っていました。

 

ところが、まさか、こんな状況になるとは!

 

現在88才の義父が現役時代は零細企業の経営者で仕事はバリバリこなすけど、几帳面で真面目で頑固で男は仕事だけして女は仕事もした上に家事をこなすべきという考えの持ち主です。

義母は長年看護総婦長で仕事をバリバリこなして几帳面で真面目な方です。

 

義弟(当時30才)夫婦と義父夫婦が共同で家を建てて同居することになりました。

同居するとすぐ義父夫婦に子供が生まれ2年後また子供が生まれ賑やかで幸せ一杯な家族に思えました。

ところが義弟の奥さんは無口で内気な性格で、几帳面でエネルギッシュな義父母とそりが合わず、ストレスが積もり積もって鬱状態になって行きました。

義弟が「妻が鬱病になりこれ以上一緒に住めないから自分たちが出ていこうと思う」と義父母に言うと義父母は「それなら私たちが家を出て行く」と言ってたまたま空いていた僕の家の近くのアパートに引っ越しました。

僕達夫婦と義父母は一緒に旅行に行ったり居酒屋に行ったり僕の家で餃子パーティーをしたりで良好な関係でした。

義父母は掃除や片付けや食事の仕方など細かい事が気になって僕達夫婦にも指摘してくるので、うざいな~と思う事も多く、義弟の奥さんも大変だったんだろうなーと理解していました。

義父は4年ほど前からアルツハイマー認知症になり始めており、少し進んできた頃でした。元々心臓が弱い義母が膵臓がんから肝臓がんから全身に転移していて半年もたないことが検査でわかり入院して終末医療を始めました。

義母の入院で長年連れ添った話し相手がいなくなり義父のアルツハイマー認知症が急速に進みました。

義父は義母が末期がんで入院している事を説明しても1分後にはわからなくなってしまい「何処にいったんか?」と聞くようになってきました。又、怒りっぽくなっても来ました。

僕の妻が毎日昼食を届けに行き、仕事で行けない日は介護センターから弁当を届けてもらうようにしました。

でも受け取った弁当をレンジに入れてそれを忘れて弁当が届かないと怒りまわるようになり、昼食を妻か僕が届けるように、休日は我が家にて昼食を食べるようにしました。

又、晩は僕の家で晩飯を一緒に食べるようにしました。

仕事から帰ってから同じ話を繰り返す義父の話を聞いて勇気づけて食事するのが日課となりました。

義父は自分で建てたはずの家に帰る事を実の息子に拒まれ施設に入ってほしいと言われた事がショックで毎晩食事の時怒り散らします。

ネットで調べると、アルツハイマー認知症は記憶力が無くなっても、ショックな事、馬鹿にされたこと、自尊心を傷つけられた事は鮮明に記憶されるようです。

嫌なムードにならないように出来るだけ昔の義父の武勇伝を聞き出して楽しく話をさせるよう心掛けました。でも結構しんどいです。

21時に義父をアパートに送り届けて、洗濯物とゴミを持って帰って、洗濯して翌日届けてを繰り返して、21時30分頃一人でシャワーを浴びるのがもし倒れたら怖いので見守ってくれと再度僕の妻が呼び出されて仕方なく行って見守るようにしました。

「娘なら面倒見るのが当然じゃろう」と大声で怒鳴ったり、本来なら面倒を見るはずの長男である義弟には頼らずに長女の僕の妻にばかりに頼る義父に、何故我が家だけがこんなに応えないといけないのか?という思いが強くなって妻も僕もどんどんメンタルが疲弊して来ました。

このように義父を世話するようになりました。