59才、あと3ヶ月で60才になろうとしていた頃でした。ついに還暦を迎えるんだ〜。「ご苦労様!よく辛抱して働いたな〜」とつぶやきながら、きっと息子が還暦祝いの席を設けてくれるだろうと思い、その時の様子を想像して胸を膨らませていました。
先輩から「還暦の祝いは子供が親にしてあげるものだよ」と教えられていたので、30年前僕の父親と妻の父親を僕の家に招いて膳を取って還暦祝いをしてあげました。父も義父も嬉しそうでした。あの時の様子を思い出して息子がいつどのように僕に声をかけてくるのか楽しみにしていました。
しかし、それから何日経っても息子から何ら声をかけられません。何故だろう?もしかして還暦の祝いを親の為に子供がすると言う事を知らないのかな?と思っているうちに日が経ちとうとう60才を迎えてしまいました。
「なんじゃ〜何もしてくれんのんか」と呟いていました。
そんな事でがっかりしている時でした。僕の勤めている会社が日々支えてくれた奥さんへも感謝を伝える意味で夫婦同席にて定年祝い食事会を開いてくれる事になりました。少し救われた気持ちになりました。
「高級なホテルで社長や役員達が接待してくれての食事会だから一緒に行ってもらえる?」と妻に聞くと妻が「行きたくない!」との返事、僕が「なんで?」と聞くと「着ていく服が無いから」と「じゃあ服を借りに行こう!そしたら食事会に行ってくれるか?」と何とか服を借りる事でに行ってもらえる事になりました。
車で妻と2人で貸衣装を見に行きました。そこにはそれらしい服が無くて店員さんが「しまむらへ行ったら色々ありますよ!安いから買った方がいいですよ」と教えてくれたので車に乗ってしまむらへ行こうとしたら妻が「しまむらは嫌!」とはぶてた感じで言うから「何で?」と聞くと「他の人は素敵で高級な衣裳を着てくるのに私だけ安物を着て行きたくない」と妻が言いました。
そりゃそうだとハッと気づき
「じゃあイオンへ行こうか」と言うと機嫌を直してくれたのでイオンへ向かいました。
イオンの中には多くの店があるので何軒も回りました。試着を繰り返しているうち妻の機嫌はだんだん悪くなってきました。「ここには若いスリムな娘が着るようなサイズしかないがん!」と妻が怒り気味に言いました。
なるほど、ふくよかな妻が着るのは無理だと思うような小さい服ばかりでした。
「じゃあ違うデパートへ行こううや」と僕が言おうとした時、ダイエット器具が並べられている店の前で妻が立ち止まりました。
そこにあったのは乗るだけで痩せられると話題の振動マシンでした。すかさず店員さんが寄ってきて妻に「振動で脂肪が震えて脂肪燃焼しますよ!乗ってみて下さい」とニコニコとしながら話しかけて来ました。
妻は「じゃあ乗ってみる」と言って乗って降りるやいなや「これにするわ〜これ買ってもらえる?」と僕に言うから「えーよ」と言って即購入すると妻の顔が少し緩みました。
あ〜良かった!と思いました。ただ思いがけない出費で内心は複雑でした。
そして他の洋服屋へ行き少しゆったりとしたサイズの服を購入出来てなんとかその日が無事終わりました。
食事会当日、円卓へ各夫婦が座り、僕の隣にも妻が座って、各テーブルに1人づつ役員が座って僕達を接待してくれました。
丁度僕のテーブルには僕が新入社員の時から可愛がってくれていて一緒に良く遊んでいた常務取締役の先輩が着いていました。
食べた事がないご馳走と飲んだ事がない高級シャンパンやら高級アルコールと役員の接待で妻は上機嫌でした。
同席の常務もかなりアルコールが入っていて舌がよく回っていました。。
常務が僕の妻に「奥さん色々大変じゃったろ〜?」と話しかけたので「何じゃ?それゃ〜」思わず呟きそうになりました。何か嫌な予感がしました。
常務が続けて「奥さんご主人はよく出掛けて行く事が多くて大変だったですね?」と
「何を喋りたいんだこの人は?」と僕の心の声が漏れそうでした。
さらに常務が「奥さん、ご主人が遊びまくって帰った時ご主人のギターを足で踏み付けて壊したらしいですね!」と妻に言うから、妻がすかさず「そんな事するわけないです!」と妻の声が大きくなると同時に僕を睨み付けてきました。
頭の中を色んな事がよぎりました。
そういえば飲みの席で常務に夫婦喧嘩をした時の事を面白おかしく話したのを思い出しました。
酔いが一気に覚めてしまいました。
宴会が終わって帰り道、妻が「あんたな〜!常務さんに私の悪口ばかり言ようるんじゃな〜!何か恨みでもあるんかー⁉︎」と詰め寄って来ました。
あ〜あ、せっかくの定年記念夫婦同席の食事会を台無しにされてしまった、くそ〜、常務め〜!
でもまさか!起こるわけない事が起こってしまったショックと妻を喜ばせるどころか不快にさせてしまった事で打ちひしがれました。
あれから3年半経ちました。
僕は妻をより大切にしようとしています。
毎日風呂を洗って、残り湯で洗濯して洗濯物を干して畳むのが仕事から帰ってからする僕の役目になりました。
そして今は妻の両親の介護で妻と共に戦っています。戦うという表現は違うかもしれませんが。
妻の母親は末期癌で入院、近くに住んでいるアルツハイマー型認知症の父親のお世話をして妻と二人三脚で頑張っています。
あと1年で退職となるけどまだまだ70才か75才までは何か探して仕事もやらざるを得ないし「頑張ってやるぞ!」と思う今日この頃です。
取り止めのない話になってしまいました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。