レマハノート

しくじりや やらかした事

極度の冷え性を克服する方法を模索中2

筋トレとウォーキング始めてから2年経った。

筋肉は多少付いたもしれない。58kgだった体重が53kg体脂肪率も18から14に変わって少し引き締まったようで、久しぶりに会う人から「どうしたん痩せて病院じゃないん?」と言われる事が多くなった。でも冷え性は余り何も変わらず。

こんなに頑張っているのに。筋肉付けても駄目なんじゃないか?とか思えてきた。

かかりつけの病院の先生に話すと「筋肉量がまだまだ足りないからもっともっと付けるように頑張れ」と言われた。

そして3年が経ちクーラーの季節がやって来た。相変わらず今年も職場が冷えて辛い。

ただ去年や一昨年ほどではない。少し変わったのかも。とか思いながら何とか夏を乗り切った。

そして冬になった。

 

極度の冷え性を克服する方法を模索中

子供の頃から虚弱体質ですぐ風邪を引いてしまいます。

風邪を引いていない時が1年の内2ヶ月ほどで、特に59歳頃から冷え性が酷くて60歳から63歳は冬場の休日は下着4枚重ねでヒーター付ベストかホッカイロをベストの内側に貼ってジャンバーを着てこたつで丸まって過ごすようになってしまいました。

職場へはスーツの下にヒーター付ベストを来て、こまめに温度調整していました。

もちろんパッチも下着4枚重ねも必須でした。

風呂は45度、寝る時は電気毛布、常に汗ばんでいないと風邪を引きました。

もっとも辛いのが春から初夏にかけて、勤務先で暑がりの同僚達がクーラーをかけ始めるんです。

同僚はワイシャツだけなのに僕だけスーツの上着を羽織って、それでも寒くて震えていました。

夏本番になると尚更クーラーをきつくされるので、職場だけじゃなくデパートでも映画館でもレストランでも何処へ行ってもその対処で頭が一杯でした。

何度も職場のトイレで肩や背中や腰にめぐりずむを貼って熱くなりすぎて剥がしたら冷えて来て又貼ってを繰り返していました。

風呂上がりは一瞬で湯冷めしてしまうので気を抜けません。

冬場は布団の下に電気毛布とその下にタオルケットを敷いて少しも肩が出ないようにして

寝始めると暑くなって電気毛布を切って布団とタオルケットを避けて少し冷めたら又布団と電気毛布とタオルケットをかけてを数回繰り返して

そうしたら冷えた体が温まらなくなって、電気毛布を最強にして温まったら電気毛布を切って、いつのまにか寝ています。

でも温まらなかったら電気毛布最強のまま震えながら暖まるまで眠れません。

なんとか温まったら電気毛布を切っていつの間にか寝ています。

何故か眠る直前と起きた時は体が温かいんです。

でも起きて数分で寒く感じてくるんです。

布団の中で同じ姿勢なのに。

自律神経が壊れているんだろうな〜と思います。

そういえば子供の頃も体育の授業の時や運動会で走って終わった後で一気に熱いから寒いに変わって風邪をひいていました。

だいたい職場の旅行などでは温泉に入って出てから宴会が始まるので湯冷めします。それが嫌でした。

お酒には弱いのに毎晩晩酌します。

ビールとハイボールです。

仕事から帰ってから最初のビール一杯は緊張感から解放されホットする瞬間です。

ビールをコップ一杯飲むだけで顔が真っ赤になります。

最初は体が熱くなって

漢方薬、栄養補給食品、サプリメントなど色々試してみましたが全然駄目でした。

かかりつけの病院で相談しても、筋肉を着けるしか無いとの事。

今までも筋トレは軽くやっていたのでもう打つ手が無いと思っていました。

でもやっている筋トレは毎日10分ほどなので、本気になっていないから駄目だと思いおとどしの5月、身体を改造しようと決めました。

今までやっていた軽い筋トレを倍に増やしました。

週に2日程やっていたのを毎日する事にしました。

休日はウォーキングも始めました。

呼吸法を取り入れました。

 

大阪への道で暴走族に囲まれて

たしか僕が19歳だったと思う。

35万円で手に入れたモスグリーンのブルーバードSSS通称510を当時流行りのシャコタン、鉄チンワイドホイル、小径ハンドル、グリルを艶消しブラック、フェンダーミラー穴を塞いで、メッキのドアミラーを両面テープで貼付けて、越に行っていました。

男女2名ずつの4人で僕の510で岡山から大阪に出掛ける事になりました。

国道2号線を走行中、社内はわいわい賑やかで運転している僕もやたらと楽しくて調子に乗ってどんどんアクセルを踏み込んでいました。

姫路を過ぎた頃マフラーの爆音が近づいて来ました

ブォー!ブォー!ブォー!ブォー!

かましい音がするな〜と思っているといつの間にか僕の右側車線が多数の暴走族の車で一杯になっていました。

後ろの席から女の子たちが「レマハ君こわい!」と叫ぶから僕は「せわーあるもんか!大丈夫じゃーまかしとけ!」と答えたんだけど、内心これから何が起こってどうなるんだろうか?と不安でハンドルを握る手が震えていました。

その時隣を並走している車の助手席から身を乗り出して来た眉毛を剃ってパンチパーマの少年が僕の方を指差して「窓を開け〜や!」と叫ぶので仕方なく窓を開けて

「なんや〜?」と少し強がって関西弁風で聞くと

「おめーらーどこへ行っとんや?」と聞いて来たので「大阪や〜!」と答えたら

「ほな着いてこいや〜!」と言って数十台の車が僕らの車の前に行きました

「よっしゃ〜わかった!」と答えて着いていきました。

前と右と後ろを暴走族で囲まれての走行です。

10分程走った時前方に左に降りる側道が見えたので

すかさずハンドルを左に切って側道へ入りました

案の定暴走族は一台残らずそのまま本線を大阪方面へ走って行きました

やったぞ!とホットしました

「どうなら!振り切ったで!」

得意満面で言うと車内は歓声で包まれました

あれは何だったんだろう?

僕らに声を掛けて来たのは?

おちょくられたんだろうか?

いずれにせよ無事に大阪へ着く事が出来、翌日大阪城見物、夜はディスコ3件ハシゴ、3件目のディスコではお客さんどうしの殴り合いの喧嘩が始まって

さすが大阪!皆んなの勢いが凄いで!

大阪の暑い夜を満喫しました

45年前の楽しかった記憶が蘇って来ました

義父の世話を始める4

 

 

終末医療で入院していた義母が亡くなって3か月経ち

お通夜も葬式も49日法要も泣き崩れて挨拶した義父は数分で全てを忘れてしまいます。

認知症が進んで、ほんの一瞬回路が繋がったかと思うとすぐに切れてしまいます。

そんな義父が紅葉が見たいと言うので妻と僕が丁度休みが合う日に紅葉を見に連れて行って来ました。

昼飯はホルモンうどんが絶品で大人気の店に行きうどん好きな義父も満足していました。

でも2時間後車の中で「なんで昼飯を食べさせてくれんなんなら!」と怒り出したのでびっくりしました。

急遽セブンイレブンであんぱんを買って渡すと喜んで食べました。

食べた事まで忘れるんか?

もしかして満腹中枢もやられつつあるのか?

切ない思いがしてきました。

違う日回転寿司に連れて行くと皿の上のネタとシャリを見て「こんなに小さいんか?店はボロ儲けじゃな〜!」と何回も嫌味を言いながらでも「美味しい!」と言って僕ら夫婦より多く食べました。

他の日にはお好み焼き屋に、又別の日は焼肉屋へ連れて行きました。やはり僕たちより多く食べました。

他の日、いつものように晩飯を我が家に義父を呼んで一緒に鍋を食べていたら「ぬるくてこんなん美味しくない!」「せっかくしてくれるんなら美味しいのを食べたい!」と急に怒鳴りだしました。

電磁調理器で沸かすので熱くなるまで時間がかかっていて待ちきれずに義父が食べ始めてしまったからでした。

説明すると「なんでガスで沸かさんのんなら!」「電気なんかおえるもんか!」と怒ります。

妻もブチ切れて「人がせっかく作ったのに!そんなん言うんならもう食べるな!」と言い合いなる始末。

別の日、妻が友人の家に行っていると義父から妻に電話がかかって「何処におるんなら?」妻が「友達の家でコーヒー飲んでいる」と返すと「あんたはわしをほったらかしてわしと友達とどっちが大切なんなら!」と怒鳴られたようです。

パンにこだわりがあってパン屋で買ったパンでないと「こんなの食べれるもんか」と怒鳴られるから妻がパン屋で買ったパンを2きん冷凍庫に入れていたら「こんなに入れるな!食べれるだけ入れろ!」と怒鳴られる。だから毎日冷凍庫を確認してタイムリーに買って入れるようにしたようです。

「リンゴが欲しい」と言われて買って行くと「こんなの美味くない、わからんのんか?」と言われて高いリンゴを買って置いて帰ると食べているようです。美味しくないと言われたリンゴは持ち帰って我が家で食べます。

「あんたはわしの娘じゃろ〜!娘なら親の面倒を見るのは当たり前じゃろ〜!」と怒鳴ったりで妻のメンタルに徐々に悪影響をもたらして来ました。

そんなこんなで妻が僕に対しても些細なことで怒るようになって来ました。

月水金土のデイサービスの日は朝9:20に1回、迎えに来る直前の9:35にもう一回、妻と僕で仕事中でも休みでも義父に電話を掛けて、デイサービスの方が迎えに来た時用意が出来て無くて迷惑をかけないようにしていました。

それなのに!

ある日デイサービスの方が迎えに来た時、夢で見たのかどうかわかりませんがデイサービスの方に「今日は実家に引越しする日だから行かんで」と言ってデイサービスの方を困らせていたようでデイサービスの事務所から義弟に電話で相談がありそうじゃ無い事を確認した上で説得して義父を連れて行こうとしたら雑用を始めて時間を費やして20分間デイサービスのバスを遅らせてしまいました。 

運転してた方がバスの乗降口の扉を開けたまま義父に関わっていたので12月の朝の冷たい空気で車内が冷え切ってしまい、バスに同乗していた他の老人の内2名が体調を崩した事を聞き施設の方に「今後こんな事が無いようにしますので引き続きよろしくお願いします」と謝りました。

施設の方から「2名のご家族にはうちから謝っていますから大丈夫です。気にされないでください。それよりもうちの対応と判断が遅くて起こった事なのでこちらこそ申し訳ありません」と言って頂きました。

義弟と妻が半年前から申込んでいた老人施設から空いた知らせがありましたが義母の49日法要の前だったので義弟と妻がキャンセルしました。

次回いつ空くかわからないとの事だったので次回連絡があった時には入所させようと義弟と妻が決心していました。

毎晩うちに呼んで一緒に食事して送って行って風呂上がりまで待って洗濯して休日は昼間も世話をしてのわずらわしさから解放されるのと引き換えに義父の大好きな散歩や僕らとの生活を奪う事になるのがやり切れない思いがしていました。

年末が近づいた頃から義父は実家に引越す事になっていると確信しているようで毎朝「今日引越しするんじゃろ〜?」と聞かれるようになりました。

でもその日は急遽訪れました。

仕事から帰った僕に妻が「今日、弟に施設から空いたとの知らせがあってすぐ入らんといけんとの事なんで明後日お父さんを施設に弟と一緒に連れて行ってくるわ〜!」と緊張気味で言いました。

「お父さんにどう説明するん?」と聞くと「検査入院せんといけんからと言って連れて行く」との事でした。

嫌な予感がしてなりませんでした。

当日、僕は勤務先で仕事していると、義父から何度も僕の携帯に電話がかかって来ました。

丁度商談中で出られなかったんですが、何回もかかって来て、留守電にメッセージが残っていました。

「あんた電話になんで出んのんなら!あんたも息子とグルになってわしをこんな所に騙して入れたんか!」と。

あ〜あ、非人道的な、でも、それを止めない事を選んだ僕は、何と、罪な人間なんだろうか!

自己嫌悪と罪悪感に頭から足先まで包み込まれています!

 

3回目のサイクリングで気持ち良く完走した!

 

 

2022.10.23今日ついに3回目のサイクリング大会で35km気持ち良く完走しました。

サイクリング大会と言っても僕と僕の同僚と二人だけで計画したプライベートな大会です。

元々虚弱体質で冷え性で低体温、メンタルも弱くビビりであがり症な僕は

5年前にギックリ腰で倒れて脊柱管狭窄症と診断された時からなんとか歩いたり普通に生活出来るようにと運動や筋トレを始めていました。

サイクリングがその中一つです。

自転車屋さんに行って自転車を見ていると店員さんが「これから始めるんですか?」と聞いてくるので何故わかるんだろうと思いながら「腰痛を治すのに自転車がいいと聞いて始めようと思って」と答えると店員さんが「これがいいかな」と言いながら指差した自転車の値札が20万円以上だったので視線を避けて他に無いかなと安い自転車を探していました。

それを察してくれたのか一番安いのと2番目に安いのを案内してくれました。

クロスバイクという自転車です。

24段切り替えと8段切り替えの2台でした。

安い方の8段切り替えの方の自転車に決めました。ヘルメットと空気入れと合わせて6万円丁度にしてくれました。

家に持って帰ると妻が「あんたそんなん乗りもせんのに買ってから!」と呆れた顔で言うので「絶対乗り続けるんじゃ!見とれ!」と言い返しました。

久々に乗る自転車ワクワクしていました。

さあ乗るぞ!とまたがったけどサドルが高くて足がつかない。

まずはサドルの前に股を下ろして足をつく練習をしてなんとか乗りました!

気持ちいい!

なんじゃ〜この気持ち良さは!

小学校から高校の頃乗っていた自転車とは全く違うぞ!

路面の状態がタイヤから僕の体に心地よく伝わって来て、こげばスムーズに走るし、ギヤを上げる度にグングンスピードが上がるぞ!

その日から休みの日になるたびに3km程乗るようになりました。

でも冬になって寒いので全く乗らなくなってしまい、夏は暑くて乗らなくなって、いつのまにか自転車を買ってから2年経ちました,

案の定妻からは「それ見た事か」と言われていました。

ある日一人で自転車を車に積んで自転車専用道路へ行きました。

路面の状態が良くて凄く気持ちいい乗り心地でいくらでも走れました。

かなり疲れたな〜と思ったら25km走っていました。

体のあらゆる毛細血管に血液が流れて眠っていた細胞が目を覚まして全身が驚いている感覚を味わっていました。

疲れていたので昼なのに自宅へ帰ってシャワー浴びてすぐ爆睡してしまいました。

その日から少しずつその自転車専用道路で走るようになりました。

そしてついに同僚と二人でサイクリングをすることにして自転車専用道路を走りました。

それが1回目のサイクリング大会となりました。

二人で走ると負けず嫌いの僕が出てしまい無理にペダルを踏んでしまいます。

25kmを超えた頃から右膝に痛みを感じたので左脚に負担を掛けるようなこぎ方になってしまっていました。

30kmを超えた頃左脚の膝も痛くなってしまい、我慢してこぎ続け35kmを超えた頃両足とも動かなくなってしまいました。

同僚が「大丈夫?」と聞くから「ごめん!もう駄目じゃ!」と答えました。

もう痛みで歩く事も出来なくなってしまい泣きそうでした。

同僚が「車を取ってくるからここにおってくれ」と言って8km先の出発点まで車を取りに自転車を走らせました。

40分程して帰って来た同僚の車に僕の自転車と僕を積んでもらって家まで送ってもらいました。

妻が怒りました「あんた!健康になる為に自転車に乗るはずが健康を害して何しょ〜るん⁉︎」「その上友達に迷惑をかけて!」

そして同僚に「送って頂いてありがとうございました。迷惑をお掛けして本当にすいません」と謝っていました。

膝に氷嚢を当てたり湿布をしたりして休みました。

翌日かかりつけの接骨院で治療してもらい、妻の車に乗せてもらってサイクリング大会の駐車場へ僕の車を取りに行きましたました。

その後自転車には当分乗れませんでした。

自分の体の弱さに情け無かったのと悔しかったのと同僚に悪かったという思いから、いつかリベンジして完走しようと強く思いました。

その為に僕の体を改造しようと思いました。

ギックリ腰になってから始めていたトレーニングを強化して朝一スクワット30回、腕立て30回、腹筋20回に増やしました。そのせいで毎朝ヘロヘロになっていました。

それから半年後、友達の紹介でフィットネスジムへも通い始めました。

ジムの器具を使うと筋肉へのダメージを短時間で効率良く与えて筋肉がつく感じがしました。

足のトレーニングマシーンのウエイト(重り)の調整が出来るのでウエイトを段々と増やしてみました。

すると次の日から両膝が痛くなってしまいました。

しまった!やり過ぎた!と思った時は遅かった。

元々悪い膝を又痛めてしまった。

そのうちにジムには行かなくなって退会しました。

でも毎朝のトレーニングは続けていて休日は5kmのウォーキングを始めていました。

でも膝の内側から痛くなって歩けなくなる事がしょっちゅうでした。

そして2回目のサイクリング大会にチャレンジしました。

今度は距離を短めの30kmに設定しました。

最初は順調だったけど25kmから両膝に少し痛みが出て来ました。

でも今回は何とか完走出来ました。

嬉しい反面こんな膝じゃあ駄目だと感じました。

だから更に毎朝のトレーニングを夜もするようにして、スクワット90回、腕立て55回、腹筋90回、足上げ120回、500gのダンベルでのトレーニングを朝と夜にそれぞれやるようにしました。

心配な膝の痛みはあまり出てこなくなったけど、冬場には冷えるからなのか痛みが出て来ていました。

そして一年後3回目のサイクリング大会にチャレンジしたんです。

何と!

膝が痛くなりません!

しんどくも何ともありません!

最高にいい気持ちで35km完走出来ました!

まだ10kmは走れそうです。

「次回は50kmのサイクリング大会にしよう」と同僚と話し合いました。

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初恋のあけみちゃんに告白したら

 

 

小学校の同級生で行う同窓会の案内ハガキが届きました。

あの娘どうしているんだろう?

あの娘の事が一番に浮かびました

僕の初恋の娘です。

あれは小学校3年生の時でした。

僕が中耳炎の治療で耳鼻科に行くと、待合室に同級生の女子が待っていました。

あけみちゃんという活発な女子です。

あけみちゃんが呼ばれて診察室に入って行きました。

次に僕も呼ばれて診察室に入ると、診察室の長椅子にあけみちゃんがうつ伏せに寝かされていました。

僕が入ったのに気付いたあけみちゃんが恥ずかしそうにこちらを見ました。

すると看護婦さんが注射器を持って来て「おしりに打つからじっとしといてね!」と言うや否やあけみちゃんのスカートを捲り上げたと思うとパンツに手を掛けたんです。

「いけん」とあけみちゃんが看護婦さんに言いながらこちらを見ました。

そして看護婦さんがパンツをずらしました。

朱美ちゃんの丸いお尻があらわになりました。

僕の方をチラッと見たあけみちゃんの顔は真っ赤になっていて「見たらいけん!」と言いました。

でも僕は目をそらす事なくガン見していました。

小学生の僕にとってはあまりにも刺激的な光景だったんです。

お尻を隠そうとしたあけみちゃんの左手を看護婦さんが払いよけて注射器をあけみちゃんのおしりに刺しました。

注射がおわると急いでパンツを上げて起き上がってあけみちゃんは診察室を出て行きました。

僕の診療も終わってバス停に行くと、あけみちゃんがバスを待っていました。

僕に向かってあけみちゃんが「今日の事誰にも言わんといてな」とうつむき気味で恥ずかしそうに囁きました。

その時胸がキュンとしたけど、それが何なのかわかりませんでした。

その日から寝ても覚めても僕の頭の中はあけみちゃんで一杯になりました。

それから何事も無く、時が流れて中学2年生になりました。

あけみちゃんは僕の隣のクラスの一番前の席が定位置でした。

あけみちゃんに渡そうと思って買っていたペンダントを握りしめて、昼休みにあけみちゃんのクラスへ行きました。

案の定あけみちゃんは一番前の席で皆んなと賑やかに話をしていました。

そこへ僕が突撃しました。

「あけみちゃん、ちょっとええか?」と話しかけると「ええよ〜!何?」と笑顔で応えてくれました。

僕が「えっとな〜、あけみちゃんはたまごの黄身と白身のどっちが好きなん?」と聞くと

あけみちゃんは「私は黄身が好き!」と答えてくれました。

間髪入れずに僕が「良かった、僕も君が好きなんじゃ、これあげる」と言って買っていたペンダントを渡しました。

あけみちゃんはびっくりした顔をしていました。

授業終わって帰り道、あけみちゃんと同じスクールバスで同じバス停で降りました。

照れ臭いのであけみちゃんの顔をチラッと見て反対の方向の僕の家に向かって歩き始めた時

「レマハ君!」とあけみちゃんから呼ばれました。

やったぜ!今度はあけみちゃんから僕に愛の告白があるかもしれないぞ!とワクワクしながら振り向きました。

「ごめん、これ、いらんわ〜、かえす」とあけみちゃんがペンダントを差し出しました。

ガーンという音が頭の中で鳴り響きました。

「あっそう」と僕は半笑いの顔で受け取りました。

しょんぼりと背中を丸めて家に向かって歩きました。

「あ〜あ」とため息をつきながら失恋という文字が頭の中で膨らんでいきました。

それから随分と時は流れました。

20才になり成人式に出席しました。

二次会で同級生と昔話に花が咲いてワイワイ賑やかに楽しく飲んで騒いでいました。

そうしていると同級生のあけみちゃんが僕を見つけて隣にやって来ました。

「レマハ君、久しぶり〜、元気だったん?最近どうしよん?」と話しかけて来ました。

色んな話で盛り上がって宴会も終わろうとした時、何故かあけみちゃんから「私、色々あったんよ〜、やっぱりレマハ君が良かったわ、今更だけどレマハ君付き合ってくれない?」と告白されたんです。

凄く嬉しかったです。でもその時は僕にも彼女が出来ていたのでそれを伝えてお断りしました。

あれから40年経ちました。

あけみちゃん、どうしているんだろう?と同窓会の招待状を見ながらあの頃の事を思い返しています。

 

 

 

 

 

還暦のお祝い

 

 

59才、あと3ヶ月で60才になろうとしていた頃でした。ついに還暦を迎えるんだ〜。「ご苦労様!よく辛抱して働いたな〜」とつぶやきながら、きっと息子が還暦祝いの席を設けてくれるだろうと思い、その時の様子を想像して胸を膨らませていました。

先輩から「還暦の祝いは子供が親にしてあげるものだよ」と教えられていたので、30年前僕の父親と妻の父親を僕の家に招いて膳を取って還暦祝いをしてあげました。父も義父も嬉しそうでした。あの時の様子を思い出して息子がいつどのように僕に声をかけてくるのか楽しみにしていました。

しかし、それから何日経っても息子から何ら声をかけられません。何故だろう?もしかして還暦の祝いを親の為に子供がすると言う事を知らないのかな?と思っているうちに日が経ちとうとう60才を迎えてしまいました。

「なんじゃ〜何もしてくれんのんか」と呟いていました。

そんな事でがっかりしている時でした。僕の勤めている会社が日々支えてくれた奥さんへも感謝を伝える意味で夫婦同席にて定年祝い食事会を開いてくれる事になりました。少し救われた気持ちになりました。

「高級なホテルで社長や役員達が接待してくれての食事会だから一緒に行ってもらえる?」と妻に聞くと妻が「行きたくない!」との返事、僕が「なんで?」と聞くと「着ていく服が無いから」と「じゃあ服を借りに行こう!そしたら食事会に行ってくれるか?」と何とか服を借りる事でに行ってもらえる事になりました。

車で妻と2人で貸衣装を見に行きました。そこにはそれらしい服が無くて店員さんが「しまむらへ行ったら色々ありますよ!安いから買った方がいいですよ」と教えてくれたので車に乗ってしまむらへ行こうとしたら妻が「しまむらは嫌!」とはぶてた感じで言うから「何で?」と聞くと「他の人は素敵で高級な衣裳を着てくるのに私だけ安物を着て行きたくない」と妻が言いました。

そりゃそうだとハッと気づき

「じゃあイオンへ行こうか」と言うと機嫌を直してくれたのでイオンへ向かいました。

イオンの中には多くの店があるので何軒も回りました。試着を繰り返しているうち妻の機嫌はだんだん悪くなってきました。「ここには若いスリムな娘が着るようなサイズしかないがん!」と妻が怒り気味に言いました。

なるほど、ふくよかな妻が着るのは無理だと思うような小さい服ばかりでした。

「じゃあ違うデパートへ行こううや」と僕が言おうとした時、ダイエット器具が並べられている店の前で妻が立ち止まりました。

そこにあったのは乗るだけで痩せられると話題の振動マシンでした。すかさず店員さんが寄ってきて妻に「振動で脂肪が震えて脂肪燃焼しますよ!乗ってみて下さい」とニコニコとしながら話しかけて来ました。

妻は「じゃあ乗ってみる」と言って乗って降りるやいなや「これにするわ〜これ買ってもらえる?」と僕に言うから「えーよ」と言って即購入すると妻の顔が少し緩みました。

あ〜良かった!と思いました。ただ思いがけない出費で内心は複雑でした。

そして他の洋服屋へ行き少しゆったりとしたサイズの服を購入出来てなんとかその日が無事終わりました。

食事会当日、円卓へ各夫婦が座り、僕の隣にも妻が座って、各テーブルに1人づつ役員が座って僕達を接待してくれました。

丁度僕のテーブルには僕が新入社員の時から可愛がってくれていて一緒に良く遊んでいた常務取締役の先輩が着いていました。

食べた事がないご馳走と飲んだ事がない高級シャンパンやら高級アルコールと役員の接待で妻は上機嫌でした。

同席の常務もかなりアルコールが入っていて舌がよく回っていました。。

常務が僕の妻に「奥さん色々大変じゃったろ〜?」と話しかけたので「何じゃ?それゃ〜」思わず呟きそうになりました。何か嫌な予感がしました。

常務が続けて「奥さんご主人はよく出掛けて行く事が多くて大変だったですね?」と

「何を喋りたいんだこの人は?」と僕の心の声が漏れそうでした。

さらに常務が「奥さん、ご主人が遊びまくって帰った時ご主人のギターを足で踏み付けて壊したらしいですね!」と妻に言うから、妻がすかさず「そんな事するわけないです!」と妻の声が大きくなると同時に僕を睨み付けてきました。

頭の中を色んな事がよぎりました。

そういえば飲みの席で常務に夫婦喧嘩をした時の事を面白おかしく話したのを思い出しました。

酔いが一気に覚めてしまいました。

宴会が終わって帰り道、妻が「あんたな〜!常務さんに私の悪口ばかり言ようるんじゃな〜!何か恨みでもあるんかー⁉︎」と詰め寄って来ました。

あ〜あ、せっかくの定年記念夫婦同席の食事会を台無しにされてしまった、くそ〜、常務め〜!

でもまさか!起こるわけない事が起こってしまったショックと妻を喜ばせるどころか不快にさせてしまった事で打ちひしがれました。

あれから3年半経ちました。

僕は妻をより大切にしようとしています。

毎日風呂を洗って、残り湯で洗濯して洗濯物を干して畳むのが仕事から帰ってからする僕の役目になりました。

そして今は妻の両親の介護で妻と共に戦っています。戦うという表現は違うかもしれませんが。

妻の母親は末期癌で入院、近くに住んでいるアルツハイマー認知症の父親のお世話をして妻と二人三脚で頑張っています。

あと1年で退職となるけどまだまだ70才か75才までは何か探して仕事もやらざるを得ないし「頑張ってやるぞ!」と思う今日この頃です。

取り止めのない話になってしまいました。

最後まで読んで頂きありがとうございました。