レマハノート

しくじりや やらかした事

2024.11.7今日の良かった事

今日も早朝陳列のアルバイトに出かけるために朝4時に起きて布団の中で腰痛体操とあらゆるストレッチを30分行なった後風呂の残り湯にホースを突っ込んで洗濯機を回して朝飯の準備をしていたらいつものように妻が起きて来て朝食を済ませて洗濯物を干してトイレも済ませて6時10分に車に乗り込んでいつものように一番に職場へ6:30に着いて準備して先輩達を迎えて仕事が始まりました。

何かと厳しい事を言って来るおばちゃんにほんの少しだけ大きい声で言い返すとそれからは何も嫌味な事を言われなくなって少し拍子抜けしました。

その後はお互い仲良く仕事をして終われました。

それが今日の一番良かった事でした。

その後12年前からジャズやブルースやフュージョンをメインでやっている僕のバンドのリハーサルに出かけて楽しんで帰ってからいつものように妻と飲酒して食事して楽しく過ごして風呂から上がって熟睡していました。

妻が慌てて大声で「大変だから起きて」と何度も叫ぶので起きると庭の木がぼうぼうと燃えていて火事の状態で、ホースで水をかけてどうにか火が治りかけた時通報があったからとして大型の消防車が2台パトカーが一台来て近所の人達が集まって来て消火されるまで大騒ぎになって事情聴取が終わるまで1時間かかって、聞けば妻が庭の枯れ木を焼いていて、枯れた所だけ燃やそうと思って火をつけたら燃え盛ってしまったようで、あまりにも大事になって妻は震えて泣いて事情聴取に答えられなくて、そんなこんなで今日が終わりました。

身体が冷え切ってしまったので再度風呂に浸かったけどなぜか温まらずこれから寝ようとしています。

明日も朝4時起きなので頑張って寝ます!

2024.11.6今日の良かった事

一昨日妻と旅行で行った道後温泉だが素泊まりにして夕食は居酒屋にてその居酒屋の雰囲気が良くて、カウンターにて飲んで食べて美味しいし、最高だった。そこで蓮根の炒め物が美味しかつた。

今日は妻がその味を再現して作ってくれた。それはそれは妻の方が断然美味しかった。

それが今日の一番良かった事でした。

極度の冷え性を克服する方法を模索中2

筋トレとウォーキング始めてから2年経った。

筋肉は多少付いたもしれない。58kgだった体重が53kg体脂肪率も18から14に変わって少し引き締まったようで、久しぶりに会う人から「どうしたん痩せて病院じゃないん?」と言われる事が多くなった。でも冷え性は余り何も変わらず。

こんなに頑張っているのに。筋肉付けても駄目なんじゃないか?とか思えてきた。

かかりつけの病院の先生に話すと「筋肉量がまだまだ足りないからもっともっと付けるように頑張れ」と言われた。

そして3年が経ちクーラーの季節がやって来た。相変わらず今年も職場が冷えて辛い。

ただ去年や一昨年ほどではない。少し変わったのかも。とか思いながら何とか夏を乗り切った。

そして冬になった。

 

極度の冷え性を克服する方法を模索中

子供の頃から虚弱体質ですぐ風邪を引いてしまいます。

風邪を引いていない時が1年の内2ヶ月ほどで、特に59歳頃から冷え性が酷くて60歳から63歳は冬場の休日は下着4枚重ねでヒーター付ベストかホッカイロをベストの内側に貼ってジャンバーを着てこたつで丸まって過ごすようになってしまいました。

職場へはスーツの下にヒーター付ベストを来て、こまめに温度調整していました。

もちろんパッチも下着4枚重ねも必須でした。

風呂は45度、寝る時は電気毛布、常に汗ばんでいないと風邪を引きました。

もっとも辛いのが春から初夏にかけて、勤務先で暑がりの同僚達がクーラーをかけ始めるんです。

同僚はワイシャツだけなのに僕だけスーツの上着を羽織って、それでも寒くて震えていました。

夏本番になると尚更クーラーをきつくされるので、職場だけじゃなくデパートでも映画館でもレストランでも何処へ行ってもその対処で頭が一杯でした。

何度も職場のトイレで肩や背中や腰にめぐりずむを貼って熱くなりすぎて剥がしたら冷えて来て又貼ってを繰り返していました。

風呂上がりは一瞬で湯冷めしてしまうので気を抜けません。

冬場は布団の下に電気毛布とその下にタオルケットを敷いて少しも肩が出ないようにして

寝始めると暑くなって電気毛布を切って布団とタオルケットを避けて少し冷めたら又布団と電気毛布とタオルケットをかけてを数回繰り返して

そうしたら冷えた体が温まらなくなって、電気毛布を最強にして温まったら電気毛布を切って、いつのまにか寝ています。

でも温まらなかったら電気毛布最強のまま震えながら暖まるまで眠れません。

なんとか温まったら電気毛布を切っていつの間にか寝ています。

何故か眠る直前と起きた時は体が温かいんです。

でも起きて数分で寒く感じてくるんです。

布団の中で同じ姿勢なのに。

自律神経が壊れているんだろうな〜と思います。

そういえば子供の頃も体育の授業の時や運動会で走って終わった後で一気に熱いから寒いに変わって風邪をひいていました。

だいたい職場の旅行などでは温泉に入って出てから宴会が始まるので湯冷めします。それが嫌でした。

お酒には弱いのに毎晩晩酌します。

ビールとハイボールです。

仕事から帰ってから最初のビール一杯は緊張感から解放されホットする瞬間です。

ビールをコップ一杯飲むだけで顔が真っ赤になります。

最初は体が熱くなって

漢方薬、栄養補給食品、サプリメントなど色々試してみましたが全然駄目でした。

かかりつけの病院で相談しても、筋肉を着けるしか無いとの事。

今までも筋トレは軽くやっていたのでもう打つ手が無いと思っていました。

でもやっている筋トレは毎日10分ほどなので、本気になっていないから駄目だと思いおとどしの5月、身体を改造しようと決めました。

今までやっていた軽い筋トレを倍に増やしました。

週に2日程やっていたのを毎日する事にしました。

休日はウォーキングも始めました。

呼吸法を取り入れました。

 

大阪への道で暴走族に囲まれて

たしか僕が19歳だったと思う。

35万円で手に入れたモスグリーンのブルーバードSSS通称510を当時流行りのシャコタン、鉄チンワイドホイル、小径ハンドル、グリルを艶消しブラック、フェンダーミラー穴を塞いで、メッキのドアミラーを両面テープで貼付けて、越に行っていました。

男女2名ずつの4人で僕の510で岡山から大阪に出掛ける事になりました。

国道2号線を走行中、社内はわいわい賑やかで運転している僕もやたらと楽しくて調子に乗ってどんどんアクセルを踏み込んでいました。

姫路を過ぎた頃マフラーの爆音が近づいて来ました

ブォー!ブォー!ブォー!ブォー!

かましい音がするな〜と思っているといつの間にか僕の右側車線が多数の暴走族の車で一杯になっていました。

後ろの席から女の子たちが「レマハ君こわい!」と叫ぶから僕は「せわーあるもんか!大丈夫じゃーまかしとけ!」と答えたんだけど、内心これから何が起こってどうなるんだろうか?と不安でハンドルを握る手が震えていました。

その時隣を並走している車の助手席から身を乗り出して来た眉毛を剃ってパンチパーマの少年が僕の方を指差して「窓を開け〜や!」と叫ぶので仕方なく窓を開けて

「なんや〜?」と少し強がって関西弁風で聞くと

「おめーらーどこへ行っとんや?」と聞いて来たので「大阪や〜!」と答えたら

「ほな着いてこいや〜!」と言って数十台の車が僕らの車の前に行きました

「よっしゃ〜わかった!」と答えて着いていきました。

前と右と後ろを暴走族で囲まれての走行です。

10分程走った時前方に左に降りる側道が見えたので

すかさずハンドルを左に切って側道へ入りました

案の定暴走族は一台残らずそのまま本線を大阪方面へ走って行きました

やったぞ!とホットしました

「どうなら!振り切ったで!」

得意満面で言うと車内は歓声で包まれました

あれは何だったんだろう?

僕らに声を掛けて来たのは?

おちょくられたんだろうか?

いずれにせよ無事に大阪へ着く事が出来、翌日大阪城見物、夜はディスコ3件ハシゴ、3件目のディスコではお客さんどうしの殴り合いの喧嘩が始まって

さすが大阪!皆んなの勢いが凄いで!

大阪の暑い夜を満喫しました

45年前の楽しかった記憶が蘇って来ました

義父の世話を始める4

 

 

終末医療で入院していた義母が亡くなって3か月経ち

お通夜も葬式も49日法要も泣き崩れて挨拶した義父は数分で全てを忘れてしまいます。

認知症が進んで、ほんの一瞬回路が繋がったかと思うとすぐに切れてしまいます。

そんな義父が紅葉が見たいと言うので妻と僕が丁度休みが合う日に紅葉を見に連れて行って来ました。

昼飯はホルモンうどんが絶品で大人気の店に行きうどん好きな義父も満足していました。

でも2時間後車の中で「なんで昼飯を食べさせてくれんなんなら!」と怒り出したのでびっくりしました。

急遽セブンイレブンであんぱんを買って渡すと喜んで食べました。

食べた事まで忘れるんか?

もしかして満腹中枢もやられつつあるのか?

切ない思いがしてきました。

違う日回転寿司に連れて行くと皿の上のネタとシャリを見て「こんなに小さいんか?店はボロ儲けじゃな〜!」と何回も嫌味を言いながらでも「美味しい!」と言って僕ら夫婦より多く食べました。

他の日にはお好み焼き屋に、又別の日は焼肉屋へ連れて行きました。やはり僕たちより多く食べました。

他の日、いつものように晩飯を我が家に義父を呼んで一緒に鍋を食べていたら「ぬるくてこんなん美味しくない!」「せっかくしてくれるんなら美味しいのを食べたい!」と急に怒鳴りだしました。

電磁調理器で沸かすので熱くなるまで時間がかかっていて待ちきれずに義父が食べ始めてしまったからでした。

説明すると「なんでガスで沸かさんのんなら!」「電気なんかおえるもんか!」と怒ります。

妻もブチ切れて「人がせっかく作ったのに!そんなん言うんならもう食べるな!」と言い合いなる始末。

別の日、妻が友人の家に行っていると義父から妻に電話がかかって「何処におるんなら?」妻が「友達の家でコーヒー飲んでいる」と返すと「あんたはわしをほったらかしてわしと友達とどっちが大切なんなら!」と怒鳴られたようです。

パンにこだわりがあってパン屋で買ったパンでないと「こんなの食べれるもんか」と怒鳴られるから妻がパン屋で買ったパンを2きん冷凍庫に入れていたら「こんなに入れるな!食べれるだけ入れろ!」と怒鳴られる。だから毎日冷凍庫を確認してタイムリーに買って入れるようにしたようです。

「リンゴが欲しい」と言われて買って行くと「こんなの美味くない、わからんのんか?」と言われて高いリンゴを買って置いて帰ると食べているようです。美味しくないと言われたリンゴは持ち帰って我が家で食べます。

「あんたはわしの娘じゃろ〜!娘なら親の面倒を見るのは当たり前じゃろ〜!」と怒鳴ったりで妻のメンタルに徐々に悪影響をもたらして来ました。

そんなこんなで妻が僕に対しても些細なことで怒るようになって来ました。

月水金土のデイサービスの日は朝9:20に1回、迎えに来る直前の9:35にもう一回、妻と僕で仕事中でも休みでも義父に電話を掛けて、デイサービスの方が迎えに来た時用意が出来て無くて迷惑をかけないようにしていました。

それなのに!

ある日デイサービスの方が迎えに来た時、夢で見たのかどうかわかりませんがデイサービスの方に「今日は実家に引越しする日だから行かんで」と言ってデイサービスの方を困らせていたようでデイサービスの事務所から義弟に電話で相談がありそうじゃ無い事を確認した上で説得して義父を連れて行こうとしたら雑用を始めて時間を費やして20分間デイサービスのバスを遅らせてしまいました。 

運転してた方がバスの乗降口の扉を開けたまま義父に関わっていたので12月の朝の冷たい空気で車内が冷え切ってしまい、バスに同乗していた他の老人の内2名が体調を崩した事を聞き施設の方に「今後こんな事が無いようにしますので引き続きよろしくお願いします」と謝りました。

施設の方から「2名のご家族にはうちから謝っていますから大丈夫です。気にされないでください。それよりもうちの対応と判断が遅くて起こった事なのでこちらこそ申し訳ありません」と言って頂きました。

義弟と妻が半年前から申込んでいた老人施設から空いた知らせがありましたが義母の49日法要の前だったので義弟と妻がキャンセルしました。

次回いつ空くかわからないとの事だったので次回連絡があった時には入所させようと義弟と妻が決心していました。

毎晩うちに呼んで一緒に食事して送って行って風呂上がりまで待って洗濯して休日は昼間も世話をしてのわずらわしさから解放されるのと引き換えに義父の大好きな散歩や僕らとの生活を奪う事になるのがやり切れない思いがしていました。

年末が近づいた頃から義父は実家に引越す事になっていると確信しているようで毎朝「今日引越しするんじゃろ〜?」と聞かれるようになりました。

でもその日は急遽訪れました。

仕事から帰った僕に妻が「今日、弟に施設から空いたとの知らせがあってすぐ入らんといけんとの事なんで明後日お父さんを施設に弟と一緒に連れて行ってくるわ〜!」と緊張気味で言いました。

「お父さんにどう説明するん?」と聞くと「検査入院せんといけんからと言って連れて行く」との事でした。

嫌な予感がしてなりませんでした。

当日、僕は勤務先で仕事していると、義父から何度も僕の携帯に電話がかかって来ました。

丁度商談中で出られなかったんですが、何回もかかって来て、留守電にメッセージが残っていました。

「あんた電話になんで出んのんなら!あんたも息子とグルになってわしをこんな所に騙して入れたんか!」と。

あ〜あ、非人道的な、でも、それを止めない事を選んだ僕は、何と、罪な人間なんだろうか!

自己嫌悪と罪悪感に頭から足先まで包み込まれています!

 

3回目のサイクリングで気持ち良く完走した!

 

 

2022.10.23今日ついに3回目のサイクリング大会で35km気持ち良く完走しました。

サイクリング大会と言っても僕と僕の同僚と二人だけで計画したプライベートな大会です。

元々虚弱体質で冷え性で低体温、メンタルも弱くビビりであがり症な僕は

5年前にギックリ腰で倒れて脊柱管狭窄症と診断された時からなんとか歩いたり普通に生活出来るようにと運動や筋トレを始めていました。

サイクリングがその中一つです。

自転車屋さんに行って自転車を見ていると店員さんが「これから始めるんですか?」と聞いてくるので何故わかるんだろうと思いながら「腰痛を治すのに自転車がいいと聞いて始めようと思って」と答えると店員さんが「これがいいかな」と言いながら指差した自転車の値札が20万円以上だったので視線を避けて他に無いかなと安い自転車を探していました。

それを察してくれたのか一番安いのと2番目に安いのを案内してくれました。

クロスバイクという自転車です。

24段切り替えと8段切り替えの2台でした。

安い方の8段切り替えの方の自転車に決めました。ヘルメットと空気入れと合わせて6万円丁度にしてくれました。

家に持って帰ると妻が「あんたそんなん乗りもせんのに買ってから!」と呆れた顔で言うので「絶対乗り続けるんじゃ!見とれ!」と言い返しました。

久々に乗る自転車ワクワクしていました。

さあ乗るぞ!とまたがったけどサドルが高くて足がつかない。

まずはサドルの前に股を下ろして足をつく練習をしてなんとか乗りました!

気持ちいい!

なんじゃ〜この気持ち良さは!

小学校から高校の頃乗っていた自転車とは全く違うぞ!

路面の状態がタイヤから僕の体に心地よく伝わって来て、こげばスムーズに走るし、ギヤを上げる度にグングンスピードが上がるぞ!

その日から休みの日になるたびに3km程乗るようになりました。

でも冬になって寒いので全く乗らなくなってしまい、夏は暑くて乗らなくなって、いつのまにか自転車を買ってから2年経ちました,

案の定妻からは「それ見た事か」と言われていました。

ある日一人で自転車を車に積んで自転車専用道路へ行きました。

路面の状態が良くて凄く気持ちいい乗り心地でいくらでも走れました。

かなり疲れたな〜と思ったら25km走っていました。

体のあらゆる毛細血管に血液が流れて眠っていた細胞が目を覚まして全身が驚いている感覚を味わっていました。

疲れていたので昼なのに自宅へ帰ってシャワー浴びてすぐ爆睡してしまいました。

その日から少しずつその自転車専用道路で走るようになりました。

そしてついに同僚と二人でサイクリングをすることにして自転車専用道路を走りました。

それが1回目のサイクリング大会となりました。

二人で走ると負けず嫌いの僕が出てしまい無理にペダルを踏んでしまいます。

25kmを超えた頃から右膝に痛みを感じたので左脚に負担を掛けるようなこぎ方になってしまっていました。

30kmを超えた頃左脚の膝も痛くなってしまい、我慢してこぎ続け35kmを超えた頃両足とも動かなくなってしまいました。

同僚が「大丈夫?」と聞くから「ごめん!もう駄目じゃ!」と答えました。

もう痛みで歩く事も出来なくなってしまい泣きそうでした。

同僚が「車を取ってくるからここにおってくれ」と言って8km先の出発点まで車を取りに自転車を走らせました。

40分程して帰って来た同僚の車に僕の自転車と僕を積んでもらって家まで送ってもらいました。

妻が怒りました「あんた!健康になる為に自転車に乗るはずが健康を害して何しょ〜るん⁉︎」「その上友達に迷惑をかけて!」

そして同僚に「送って頂いてありがとうございました。迷惑をお掛けして本当にすいません」と謝っていました。

膝に氷嚢を当てたり湿布をしたりして休みました。

翌日かかりつけの接骨院で治療してもらい、妻の車に乗せてもらってサイクリング大会の駐車場へ僕の車を取りに行きましたました。

その後自転車には当分乗れませんでした。

自分の体の弱さに情け無かったのと悔しかったのと同僚に悪かったという思いから、いつかリベンジして完走しようと強く思いました。

その為に僕の体を改造しようと思いました。

ギックリ腰になってから始めていたトレーニングを強化して朝一スクワット30回、腕立て30回、腹筋20回に増やしました。そのせいで毎朝ヘロヘロになっていました。

それから半年後、友達の紹介でフィットネスジムへも通い始めました。

ジムの器具を使うと筋肉へのダメージを短時間で効率良く与えて筋肉がつく感じがしました。

足のトレーニングマシーンのウエイト(重り)の調整が出来るのでウエイトを段々と増やしてみました。

すると次の日から両膝が痛くなってしまいました。

しまった!やり過ぎた!と思った時は遅かった。

元々悪い膝を又痛めてしまった。

そのうちにジムには行かなくなって退会しました。

でも毎朝のトレーニングは続けていて休日は5kmのウォーキングを始めていました。

でも膝の内側から痛くなって歩けなくなる事がしょっちゅうでした。

そして2回目のサイクリング大会にチャレンジしました。

今度は距離を短めの30kmに設定しました。

最初は順調だったけど25kmから両膝に少し痛みが出て来ました。

でも今回は何とか完走出来ました。

嬉しい反面こんな膝じゃあ駄目だと感じました。

だから更に毎朝のトレーニングを夜もするようにして、スクワット90回、腕立て55回、腹筋90回、足上げ120回、500gのダンベルでのトレーニングを朝と夜にそれぞれやるようにしました。

心配な膝の痛みはあまり出てこなくなったけど、冬場には冷えるからなのか痛みが出て来ていました。

そして一年後3回目のサイクリング大会にチャレンジしたんです。

何と!

膝が痛くなりません!

しんどくも何ともありません!

最高にいい気持ちで35km完走出来ました!

まだ10kmは走れそうです。

「次回は50kmのサイクリング大会にしよう」と同僚と話し合いました。

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